乱暴にして頂戴!


 ジョルノがさっきこの橋を通ったのは一時間ほど前だったか。早朝、空港で拾った客をタクシーに乗せてここを通り過ぎたときも、たしかにこの後ろ姿を見た。斜めに切り上げられたアシンメトリーの髪。黒い服。
 客を送り届けての帰り道、同じ橋を通ると、まだその後ろ姿がある。欄干に腰かけて、川の方を向いて、座っている。なにも変わっていない。
「…………」
(石像?)
 最近はやりのストリートアートというやつか。誰の許可もなしに一夜のうちにアート作品が鎮座していることのたびたびある国、イタリア。
「…………」
 ジョルノは橋の上でゆっくりタクシーを停めた。窓から顔だけ乗り出して、奇妙な後ろ姿を凝視する。どう見たってそれは石像なんかじゃなく生身の人間なわけだが、石像にしろ生身の人間にしろ、ジョルノは思った。
(…顔が見たい)
 そう決めたなら行動は早かった。
 運転席を降り、静かに石畳を踏んで、近づいていく。後ろ姿は微動だにしない。
「……魚はいないようだけど」
 背後から身を乗り出して、後ろ姿が熱心に眺める橋の下の川面を見下ろしたジョルノは、顔を上げたそれと目が合った。奇妙なマスクをした男だ。
 男はじっとジョルノを見上げ、しゃべりだす前に、舌で唇を湿らせる、それは単なるクセなんだろうけれど。
「なんで魚?」
 簡潔な疑問詞が男から投げかけられた。喉を震わす肌ざわりのいい声。
「ずいぶん熱心に川を見ているので、魚でもいるのかと」
「別に川を見てたわけじゃないけど」
「だってけっこう前からここにいるでしょうあんた」
 そこでようやく男は少し表情を動かした。片眉をあげる。
「いつから見てた?」
「ずっと見てたわけじゃない。さっきここを通って、その時もあんたがいて、で今また通ったらまだいるから。気になるでしょう、普通」
 男はジョルノのことを「変なやつ」と思ったらしかった。ジョルノとしてはそっくりそのままバットで打ち返したいが。
 男が、動く気配をみせたのでジョルノは少し体を引いた。立ち上がった男はジョルノよりちょっと背が高い。パンパンと服を手ではたいている。少しうつむくと、アシンメトリーの直毛がざらりと肩をすべる。
 男の全身をなんとなしに眺めて、ジョルノは男の奇妙な行動の理由をようやく理解した。
「靴が」
「落ちた。川に」
 くるりとジョルノのほうに振り向いて、男は橋の欄干にもたれかかる。その片足は素足だ。見てる方が寒くなる。
「川に?それで、ずっとそこにいたんですか?」
「うん、そう。だってどうしようもないだろ?落ちて、流れていっちゃったし。浮かんでもこねえし」
 男は軽く肩をすくめる。また、髪がざらりと鳴る。
 目元を覆うマスクのせいで、表情は読みにくい。だけど男はとくにおもしろがってるわけでも、困ってるわけでも、なさそうだ。ジョルノは、よくわからないと思う。ジョルノ自身もあまり感情が顔にでやすい方じゃないが、男の感情を読み取るのはさらに難解だった。
「だからって、ずっとそこにいても、どうにもならないでしょう。川が逆流して靴が戻ってくるわけでもないんだから」
「あるいは、『ベイビィフェイス』を使えば、誰かを靴にしちまうこともできたけど」
 妙なことを言いだす男を、ジョルノは一歩離れた場所から注意深く観察した。男が動きを見せたら、すぐにでも返し手を打てるように。
 ジョルノが警戒心を高めたことに、男は勘づかないのか、それとも無視してるのか、まったくジョルノの様子を気にする様子もなく、後ろ手に両手をついて橋の下の川面に目線を落とす。
「ま、アレを使うわけにもいかねぇから、誰かが通るのを待ってたんだ。運良く知り合いでもいないかなーって。そうしたら、あんたが通った」
「ぼくはあんたの知り合いじゃないですけど」
「でも、声をかけてきたのはあんただ。そうだろ?その車、あんたの?」
 男があごで示した先を振り返ると、ジョルノが逆の道側に停めたタクシー。
「ぼくのですけど。ぼくのってゆうか、アルバイト先のですけど」
「よかった。鍵破りしなくて済む。靴屋まで連れてってくれないか?」
「いいですけどお金払えるんですか?あんた」
「金とるのか?」
「タクシーですよ?」
 ここに至ってジョルノは、男に対して奇妙なシンパシーを感じていた。シンパシーというか、似てる、と思う。不覚にも。この意味不明な男と、自分が。
 男ももしかしたら、同じ感覚を味わっているのかもしれない。唇を歪めるようにして、笑う。笑っているのだけれど、どこか冷たさや薄情さを印象する。そういえば、男のまとう空気はやけに薄い。
(もしかして、幽霊かなんか、だったりして)
 日本の幽霊は足がないんだと聞く。この男も片方の足がないではないか。
 ジョルノは馬鹿な妄想をいだかせる原因の男をもう一度眺めた。男のまとう黒い服だって、喪服を連想させる。
(死のイメージ、だ)
 ジョルノ・ジョバァーナはそういったものに敏感だった。薄氷のような笑み、白い素足、黒い服と顔を隠すマスク、靴を落としたとうそぶく唇。これは立派な不審者だ。
 そんな男にシンパシーを覚えるのだから自分もそうとうイカれている。
「タクシー?だって、あんたの車なんだろ?あんたが善意ってもんを持ってんなら、それに俺を乗せてってくれたっていいんじゃねえか?これは『仕事』じゃない、俺からの『お願い』だ」
「嫌だと言ったらどうするんです」
「そりゃ『しょおがねぇなぁぁ~』ってやつだな。あきらめて、また次を探す。靴いっこ失ってあんたが足を止めた。もうひとつなんかを失えば、もうひとりぐらい足を止めてくれるかな?橋のど真ん中で座り込む、こんな不審な奴のためにさ」
 自覚はあったらしい。男は軽く手を挙げて、わざとらしくため息を吐いた。両手には黒い手袋をしている。だからよけいに、素足の白が目立つ。
 痛々しい色だ。
 ジョルノはだから、手を差し出してしまった。
「乗りますか?ぼくの善意で」
「いいのか?助かるぜ」
 迷う様子もなく即答して、男はジョルノの手をとった。ぐんと引けば、欄干から腰を浮かしてジョルノのごくそばに体を寄せてくる。近づいても、男の空気はやはり薄い。
 ジョルノが運転席に回り込むと、男は勝手に後部座席のドアを開けシートに体をすべりこませた。
 ドアを締めてエンジンをかける。靴屋なら、このストリートを3ブロック行った先に何軒かあったはずだ。
 脳裏にこの周辺の地図をえがくジョルノの背後で、男はシートに悠々と背中を沈めたまま、窓の方を指差した。
「そこに置いてるの、俺のバイクなんだよ。あとで取りにこなきゃならない」
「バイク?あんたの?なんでバイクを使わないんです」
「だから、靴を落としたってゆってるだろ。素足でバイクに乗れって?」
「乗れないことはないでしょう」
「ん~~~じゃあこうゆうことにしよう。『あんたとドライブに行きたかった』」
「全然うれしくない」
「あらら、残念だねぇー」
 と言いながらもはや男は車を降りる気もなく、ジョルノもまた降ろすつもりなどなかった。それがわかっているからこその軽口だ。
 言葉にしなくても男にはジョルノの真意が伝わってるらしく、やはり2人はどこか似ているのかもしれなかった。なんとなくそれがおもしろくなくて、ジョルノはおもいっきりアクセルを踏み込んだ。乱暴に走り出す車に、男が出会って初めて楽しげな声で笑った。

- end -

スーパーポジション管理人のべいた様より御寄稿。